在校生インタビュー

目覚め、挫折、、飛躍!そして世界(未来)へ羽ばたく!


[第1章:目覚め]へ戻る


専攻科機械システム工学専攻2年 城 鮎美(しろ あゆみ)(2007年当時)(2012年度に博士(工学)の学位を取得し、2013年現在 独立行政法人日本原子力研究開発機構所属)

2007年当時 西田研究室所属


[第2章:挫折]
イ:座学(授業)は?
城:数学がキツかったですね、、、。合格点ギリギリでなんとかって感じでした。。物理も速っ!って感じました。あと、3年生から力学が増えるんですけど、、、材料力学、機械力学とかあと工業力学とか!?。で“壁”でしたね。3・4年では“わからない”->“勉強しない”->“(益々)わからない”に陥っていましたね。3年生のときは1回高専をやめようかな~、向いていないのかも、、と。
イ:ふむふむ
城:でも、まあ何とか合格点はクリアしましたね。成績は3年生までは真ん中よりちょっと下ぐらいでした。
イ:(よくもなく、悪くもなくだなぁ、、、、(確かに)微妙、、)あと何か思い出は?


 今度の発表の準備(全部英語)している様子       写さないでくださいよ!

[第3章:再び、、]
城:3年の創造実習かな?たまたまロボコンに参加していたメンバーが3人揃って、ドリームチームとか言われましたね!でも結果はいまいちでした、、。あ、当時のメンバーに怒られるからここは載せないで、、(笑)。
イ:うん、わかった!(ふりをする。そして掲載)
城:4年の(機械工学)実験も(現研究分野を選ぶ)きっかけになりました。10数テーマあって、自分に合いそうな分野がちょっと見えましたね。あとインターン(インターンシップ:学外実習)!
イ:どこに行ったの?
城:工業試験場です。そこでベテラン研究者に出会ったんですよ。いかにも研究者って感じのなんて言ったらいいのかなぁ、、その道の、、見たいな人です。
イ:はいはい、なんとなく(言いたいことは)わかる。そこでは何をしたの?
城:材料の引張試験とかシャルピー試験とか(笑)ひたすら。でこういう仕事に憧れたんです。
イ:シャルピー試験する仕事に!?(ちょっと変わった子だなぁ、、、)
城:その頃、就職か進学かで悩んでいた時期で、(この試験場への就職を)考えてました。でも募集枠がなくて、ここは無理ってことであきらめました。とは言ったものの、勉強でこけていた分、他の機械系の仕事に就いてやっていけるのか不安もあって、試験場以外の就職はあんまり乗り気じゃなかった。思い切って文系に進路を変えることもずっと考えてました。ただ、当時の学科主任に「せっかく機械系にいるんだから、、、」って説得されて、一言に機械系って言っても仕事はいろいろあるんだよ、ってパンフレットとか見せていただいて、その世界の広さに驚いたのは今でも覚えています。
イ:4年生の最後には5年生になったときの卒研の研究室を選ぶけど、、、
城:西田研(材料)を選びました。消去法という感じもありましたね。制御はちょっと授業でつまづいていたし、、(笑)テーマは“繊維強化アルミニウム複合材料の製作”でした。繊維はタングステンでアルミの母材に混ぜる研究でした。実際本格的に始まったのは7月ぐらいから。
イ:材料はもともと興味あったの?
城:(中学までは全く知らず)まあ材力(材料力学:3年)はダメでした(笑)。2年の材料工学は面白いと思っていたのと、あと1年の実習の時の鋳造を生で見て体験してたのも(影響)あったかも。あと3年の実習の工場見学でどこかの製鉄所に行ったんですけど、そこで銑鉄(せんてつ)を溶解しているの見て、あの、火花がばちばちって、すげーっo(*-*)o!!って。
イ:まあ、15~16歳の女の子でそういうの見る機会はそうはないわな!
城:おもしろーいって。
イ:よ、よかったねぇ。(この子は普通科高校でなくてホントよかったかも、、)

[第4章:師匠との出会い]
城:いい先生にも出会いましたね。
イ:例えば?
城:卒研で配属した西田先生には“研究の楽しみ”を教えていただきました。あとは、難しい授業は毎日先生のところに通いつめて教えてもらって、、、わからないことがとにかく悔しかったんですよ、、、でわかるようになって勉強の楽しさを教えてもらったり。先輩には5年生の授業は難しいぞ!とか言われていたんですけどね。その通りで(笑)。
イ:でも、この話を聞くと、さっき聞いた3年生までの落ちこぼれ寸前のイメージはないねぇ?
城:私も(例に漏れず?)2~3、4年と中だるみがありました。で、その中でも就職か?進学か?と悩んでいた。
イ:ふむふむ
城:で、5年の卒研をやり始めて、色々知っていないとダメだってわかってから、変わりましたね。例えば(苦手だった)材力もわからんとダメ。自分自身が知らないことが多いってことに気づきました。研究で究めるのには色々必要なことに気づきました。あらゆることが足りないって感じです。だから5年から本格的に勉強始めました。前は一夜漬けで何とか乗り切っていたのが、2週間前から勉強を始めたり、、、で結果がでて成績アップしたんですよ。(勉強が)楽しくなった。努力すればできるんだって実感しましたね。研究と並行して勉強することで。
イ:ほーぉ!
城:研究は熱中できました。材料はこちらの思い通りに・都合よくはいかないというところにハマッタ。西田先生に“材料に語りかける、耳を澄ます”ことを教わりました。で、“もっと勉強したい!”って思い始めました。テストのためとか、わからないのが悔しいからとかではなくなってきて。
イ:(19(20)才そこそこでそこまでハマれることに出会えて幸せだなぁ!)
城:あとは5年生の夏ごろに専攻科に進みたいと思い始めて、、、知り合いの大学院生に相談というか色々研究の話とかを聞いて、益々、いいなーって。
イ:で、専攻科に進んだんだね。
城:まあ、紆余曲折あって、専攻科に進学しました。


   研究室にて(左:専攻科生 渡辺君)        ピースV(^-^)v!

[第5章:飛躍そして世界へ]
イ:さて専攻科に進学して何を研究しているんですか?
城:材料の評価です。X線を使った材料の応力評価をしています。
イ:同級生とかで大学に進学した学生もいるけど、、どう?
城:高専からは大学の3年生に編入ですよね。(わからないけど)授業とかがいっぱいで大変そう。私は専攻科に残って研究に没頭できてよかった(注:専攻科も座学はあります)
イ:最近の研究活動は?
城:機械学会の関西支部の発表で大阪産業大学にいきました。あとは京都国際会館でのチタンの国際会議にポスター(セッション)発表をしてきたのと、インドネシアであったX線、中性子のセミナーにポスター発表で参加したのと、中国のハルピン工業大学にX線に関して徳島大学と一緒に行ってきました。これはオーラルセッション(口頭発表)でした。
イ:ちょ、ちょっと待って、、(すごいな、、、大学生でいうと3年~4年生と同じ学年で)、、(ゆっくり言ってよ)、、。例えば、3年前ぐらい(本科4・5年)に今の状況を想像してた?
城:想像はしていませんでしたねぇ。
イ:国際学会とかに参加してみてどうだった?
城:色々なバックグラウンドをもつ人が学会には集まるんだなぁーと。同じことをやっている人は一人もいない!!でも、なんというか同じステージには上がっている実感はありました。
(インタビュアーの補足:これは授業を受けているだけではわからないと思います。授業は約40人がすでにわかっていることを学ぶわけですが(それはそれで新しいことをやるためには必要な“基本”なので重要)、学会での発表は、世界で誰もしていないことをお互いが発表しあう場所ですから)
でも、(決して満足しているわけではなく)なりたい自分になれているのか、、、(世界を知って)まだまだ足りないと思った。もっとやれる!!って。ハルピンでの英語での口頭発表はグダグダだったんですよ、、、。
イ:(次の発表がんばれ~!)海外を見て何か印象に残っていることは?
城:刺激になったのはハルピン工業大学の学生さんですね。図書館にありえない数の学生が勉強に来ている。猛勉強!夜晩く(おそく)まで!もうカルチャーショック!自分は毎日あそこまで勉強しているか?というと、、テスト前はやるけど、、、負けられないなぁ、、、。
イ:インドネシアはどうだった?
城:インドネシアでは原子炉を目の前で見せてもらったんですよ。チェレンコフ放射っていう青い光が見えました。あとから西田先生に言われたんですが、あの瞬間そこに私の魂はなかったらしいです(笑)。チェレンコフに魂を吸い取られていたと(笑)。でもほんとにそれくらいきれいだったんです。
そこではセミナーと並行して実験が行われて、西田先生と、西田先生の恩師の先生である英先生が主に理論や測定方法の話をされていました。先生方に比べたらほとんど理論が理解できていない私からすれば、測定ぐらいしかできることがなくて…。そこにインドネシアの研究者の方も加わって、ディスカッション(議論)されているのを見ながら、この(集団の)中に入って、一緒にディスカッションできたらいいな~って思いました。なんというか、身近に理想の世界があるって感じです。当然(中学、高専本科の当時は)考えてもいない(想像もしていない)世界だったんですけどね。


緊張のポスター発表  英語でディスカッション?  インドネシアの原子力関連施設の見学


左から2番目が徳島大学英教授 右が西田先生 原子力 ジョーク? 大爆笑!(一人だけ?)


原子炉を真下に見ています(すごく近距離)          記念撮影

[第6章:飛躍そして未来へ]
イ:ところで、専攻科2年生ですが来年の進路は?
城:徳島大学の大学院(修士)に進学することが決まっています。
イ:何を研究するんですか?
城:はい、X線について続けていく予定です。可能であれば中性子についても研究をしてみたいです。そして、いずれは西田先生と同じフィールドに立つとことを目標としています。西田先生のような研究者は憧れでもありますが、越えたい存在でもあります。大学院生は研究をある程度任されると聞いているので、(現在のようにある程度指導を仰げる立場ではなく)多少不安もありますが自分がどれだけできるのかチャレンジしてみたいというのが大きいです。研究者の“自分の領域を持っている”ことに強く憧れを抱いています。その研究者に早い時期(19歳で)で身近に感じることができ、非常に幸運だったと感じています。はじめはエンジニア(Engineer)になると思っていましたが、現在は研究者(Researcher)を目指して頑張っていこうと思います。大学に研究者として残るとか、企業の研究所に勤めるとか、未来はまだぼやっとしていますが、徳島で、今は想像できなことが見つかるかもしれません(見つけたい)。

[最終章:中学生へメッセージ]
イ:頑張ってください(応援しています!)さて、最後になりましたが、中学生(特に女の子に)メッセージをお願いします。
城:神戸高専の機械工学科は女子は少ないですが、十分やっていけます。大丈夫です。東京大学に(機械工学の中の)流体力学の分野で大島まり教授がいますが、女性研究者は少ないですが、頑張っています。
 中学校の時や高専に入って最初は“なんで勉強するのか?”わからないことがあると思いますが、それは、その内容を勉強する前にわかることではなくて、後になってから“必要だった”ってことがわかります。やっていて損はないです!!神戸高専機械工学科で女の子が勉強することは全く心配ないです!!
イ:最後に、また、中学3年生にもどって、(神戸)高専を知ったら、、、、高専を希望しますか?
城:はいo(^-^)o!!
イ:今日は忙しい中ありがとうございました。


笑わせないでください!渡辺さん!! 初の英語での発表。緊張!(ハルピン工業大学)


発表が終わって一安心(?)それとも女王様気分   懇親会にて(ハルピン工業大学)


上海タワー前で(でかい)   空き時間に上海観光中        アイドル風(?)


    (電光掲示板に) 熱烈歓迎!!          ハルピン工業大学にて記念撮影

[”師匠”こと西田教授から見ての城さん]
イ:西田先生から見てここ数年間の城さんはどうですか?
西:やぁ、とにかく変わった!すごく変わった!という印象。
2年後(大学院修士修了後)同じ分野のライバルになりそうで怖い(笑)。ウカウカしてられない!!
数年後に“先生、まだそんなことやってるんですかぁ?”とか言われそう(^_^;)。
 ”嫁入り道具”にX線応力測定装置測定試料台とコントロールシステムをプレゼントする予定だそうです。
全自動コンピュータ制御,使いやすいコントロールソフト,おまけに2種類の解析ソフトつき.世界で1台だけの自信作!.今彼女が使いこなしているので,嫁入り道具にと、、、。

注)ここで述べている”嫁入り”とは”大学院進学”の意味だそうです。本当の嫁入り道具に試料台とコントロールシステムをもってこられても旦那も困るでしょうねぇ、、、。


   右から2人目が西田教授          H19年度西田研究室(CDジャケット風)

[インタビューを終えて]
初の試みのロングインタビューいかがでしたでしょうか? インタビュアーが下手でごめんなさい。
ロボコンをきっかけに入学というまあ、”ベタな”志望動機から始まっていますが、5年間で大きく成長、そして変化している様子が窺(うかが)えました。”この子は高専に来てよかったな”と思いました。
ただし、高専に入学したらすべての学生がこのようになるということではないと思います。彼女はよい教育環境(人、機会)にきてよかったと実感しているようですが、彼女の”よい(教)えを受けたい、よく(育)てられたい”という意思表示とそれを実践する実行力(努力)がここまで彼女を成長させたのだと思います。決して、神戸高専機械工学科が単に”よい教育”を提供したというだけでは、このようにはならなかったと思います。
真の教育者とは真に(教)えられ、(育)てられたいという人の前にしか現れません。

次回のロングインタビューはあるのか?、だれになるのか?いつになるのか?、、、未定です。
ん?何?渡辺君もインタビュー受けたい?自分で原稿&写真を持ってきなさい。

補足:2011年現在、城さんは徳島大学の博士課程に進んでいます。
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