コーチとしての活動記録
 北京パラとリオパラはコーチと して、ロンドンパラは日本代表 監督として参加しています。
      数年前より、障害者の日本代表チームのレース分析やコーチとしてかかわってきています。このページでは、科学的分析に関することではなく、コーチとしての活動を主に記録しています。
 
  
      2005年 夏
  はじめて日本代表コーチとなった大 会で、アメリカのコロラドスプリング スにてIBSA世界ユース大会が開催され た。IBSAとは、視覚障害者の大会であ る。この大会には6名の選手が出場し た。サポートしたのは河合監督、寺西 コーチ、峰村コーチ、高瀬コーチ、そ して私の6名でした。コロラドスプリ ングスは、標高があり、私が担当して いる笠本選手を奈良教育大学の若吉研 究室を訪問し、低酸素室での活動を体 験するなど事前の準備にも力を入れた 大会であった。 写真はこちら
      2006年 冬
 日本代表コーチの2回目は、南アフリ カで行われる世界選手権でした。こちら では冬ですが、南半球なので、当然向こ うは夏です真黒に日焼けして帰ってきま した。この大会は、選手もコーチも多かったです。困った・・・大変だったのは、 移動時間が長く、障害を持った選手ばか りなので体調管理とおトイレなどの移動 が辛かったことです。でも、向こうはや はりいい加減でした。飛行機などダブル ブッキングどころかトリプル・・・それ 以上のブッキングだったのかもしれませ ん。まぁーいい経験をしました。写真は こちらから。 
    
  
      2007年 冬
 今回は日本代表のヘッドコーチとして、アメリカで行われたパラリンピックオープンに参加した。場所は、ワシントンの近郊にある、メリーランド大学のプールを使用した。大学といっても、日本とは規模が違い、正門からプールまでたどり着くのに30分。それでも大学構内の真ん中ぐらいであった。大学のマスコットが沼亀であって、「テラピン」というものであり、私の寺田との相性がよいので、これからは私のマスコットも沼亀にしようかと検討中である。亀は泳ぐのが遅いように思うが、陸と水の中とのギャップが凄い。でも、問題は、テラピンは沼亀・・・陸亀なんだよなぁ〜。写真はこちらから。

  2008年 5月ゴールデンウィーク
 神戸のしあわせの村にて「北京パラリ ンピック候補選手第一次合宿」が行われ ました。正式な発表は5月19日というこ とですが、内定している選手と補欠、そ して今回は未来を担うジュニアの選手と の合同合宿でした。右の写真はタイムト ライヤルをしている風景ですが、今まで 行ってきた合宿とは雰囲気も違い、どの 選手も真剣そのものでした。障害者だけ に、合宿をしても体調管理が難しく、リ タイアするメンバーもチラホラいたのに 今回は皆無です。それだけ意識も高まり 自覚がでている証拠です。一部だけです が、写真はこちらから。
  
      2008年 7月
 北京パラリンピック第三次合宿に、ア テネオリンピック銀メダリストの山本 貴司さんが、講演と水中でのレクチ ャーに来てくれました。画像が暗くて よくわからないと言われそうですが、 当日は奥さまの旧姓「千葉すず」さん もお子さんを連れてお見えでした。選 手は興奮気味でしたが、とてもお話が 面白く、また、参考となる話が盛りだ くさんでした。奥さんは相変わらずか わいかったですよ。写真はこちらか ら。
 
   これが噂のレーザーレーサー
 ホテルの一室で腕だけ通した状態です。紙のような肌触りでした。オレンジ色に見えるのは、私のタンクトップです。3回か4回着たら使用できなくなるというのは、全くのデマです。でも、専用の手袋があったりしますので、爪が伸びた状態では、一発で破れてしまうような代物です。着用するのに、大人2〜3人がかりでも、汗だくになるようなもんでした。担当者の話では、「これは着せて貰って泳ぐ」「F1のような」など、今までのコンセプトとは全く違ったものだそうです。写真はこちらから。
 
  
   
   8月4日 ホテル日航東京
 北京パラリンピックの結団式と壮行会が開催されました。政界からは、著名人も応援に参加されていましたし、北京パラリンピックの公式ソングを「大黒摩季」が歌うということで、そのビデオが流れていました。壮行会では、おいしい料理が並べられ、違う競技の選手とも交流が盛んになっていました。会の終了直後、目立ちたがりの水泳チームは会場内でエールを行うと、続いてわがチームもと言う感じで、それぞれが応援合戦の様相でした。写真はこちらから。
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