神戸高専 COLLEGE NO.18(1996.07)


学生諸君へ:『転んでもただでは起きるな!』

応用化学科 講師 九鬼 導隆

 『転んでもただでは起きるな!』これは私が授業の最終回や担任を持ったときの最後に教室で学生に話してきたことである.ある人から聞いたのだが,歴史に名前を残してきた人々には共通の特徴が2つあるらしい.一つは楽天家であること,もう一つは自分の思想を自分の言葉で説明できることだそうである.もちろん,これは必要十分条件ではなく必要条件である.二つの条件を満たしているからといって歴史に名前を残せるわけではない.しかし,楽天家であること,つまりプラス思考であることは何か失敗をしたり挫折を味わったときに大きな意味を持ってくる.長い人生の中,どんな失敗や挫折も経験せずに人生を終えてしまう人はまず無いであろう.失敗したとき,挫折したときにプラス思考になるかマイナス思考になるかで後々のことが大きく変わってしまう.『転んでもただでは起きぬ』ことが重要である.それだけではなく,人類は全体として『転んでもただでは起きぬ』ようにして発展してきたのであり,ここに勉強すること,学習することの意味があると私は考える.

 私は大学へ入るのに1年浪人をした(しかも第一志望はダメだった)し,大学を出るのも5年かかった.これから大学を受験しようとする人に「浪人した方が良いでしょうか」と聞かれれば「行けるなら現役で行くに越したことはない」と答えるであろうが,私自身は浪人したことを全く後悔していない.それどころか浪人して良かったとさえ思っている.浪人したことで人間的にひとまわりもふたまわりも成長することができたのではないかと思っている.浪人生の立場は面白いもので,大学にも高校にも所属せず,社会的にまさに宙ぶらりんの状態である.色々な矛盾を感じ自ずと物事を深く考えるようになる.また,いくら「俺はやればできるんだ」と叫んだところで「大学入試に落ちた」という事実はものすごい客観性を持って迫ってくる.やればできると言うことは実際にやってみて客観的に証明せねばならないわけで,アクティブに生きるしかない.でないとまた来年も予備校に通うはめになる.自ずと自己の足りなかった点を考えることから始まり,自己や社会,自己と社会との関係についてより深く正確に,きっちり考えようとすることになった.つまり,私にとって浪人時代は本当の意味での自己深化を行う絶好の機会となった.元々その気はあったが,浪人したことが社会や世界についてより深く考え,経済学や哲学を真剣に勉強する大きなきっかけとなった.予備校のある先生曰く「君たちは大学に落ちた,つまり勝負に負けたわけだが,1年間一生懸命頑張って本当の意味で自己深化ができて来春大学に合格するなら,現役で大学へ行くよりも何倍も人間的に成長して大学に行けることになる.そうすればまさに負けるが勝ちである.」

 大学で留年したときも同様であった.たしかに自分の考えの甘さを思い知ったが,そのまま普通にもう1年やって卒業してしまうと1年余計にかかったというだけで終わってしまう.幸い大学は不足した単位のみを取れば卒業できる.私は少し単位が足りなかっただけなので,ちょうど興味を持っていた物理を1年かけてかなり真剣に勉強することにした.ところがそのことが現在研究をやっていく上で非常に大きな武器となっている.私が研究をしている分野はまさに境界領域であり,物理,化学,生物のそれぞれの知識が要求される.また,理論家は実験事実等にあまり通じておらず,計算が簡単だという理由で現実的に重要なところまで簡略化してモデル計算を行い悦に入り,実験家は実験家で理論に通じておらず,理論家の計算は現実離れしていて意味がないと言いながら理論的洞察なしに盲目的に実験を行う場合も多い.そうなると理論家と実験家の間を橋渡しする人間が必要となる.しかし,こういう人間が意外と少ない.私は1年留年していた間に物理を勉強したおかげで,理論に通じた実験家として研究を続けてくることができた.私は測定装置を開発して全く新しい実験を行ったとか,新しい理論を開拓したというタイプではないが,実験結果を理論的に相当つっこんで解釈してきたおかげでいくつかの新事実を見つけることができたし,独自の立場を築きつつある.

 現役で大学に行きそのまま通常に大学を卒業した人に比べて私は2年ほど道草を食った.2回ほど転んだわけであるが,根が楽天家なもので,そのとき「失敗してしまったことは仕方がない.次の一手をどうするか」と考えていたように思う.特に留年したときなどは「幸い取得しなければならない単位も少なく,結構時間がある.せっかく留年するんだったらこの1年を普通に過ごしても意味がない.思いっきり物理を勉強しよう」と考え,道草の時間を過ごしてきた.失敗から学んだことも多い.振り返ってみると「転んだことは仕方がない.いかにただでは起きないか」と考えていたようだ.しかし,このことがマイナスをプラスに転化させてきたように思う.

 「急がば回れ」とは良く言ったもので,案外道草をすることも人生には必要なのかもしれない.浪人時代から始めた経済学・哲学の勉強が実は留年を誘う結果となったことも事実である.大学に入ってから2年生ぐらいまでは「社会の中で生きている以上まずは哲学や経済学の方が重要だ.」と理系の勉強はほとんどせずに哲学や経済学の勉強ばかりしていた.3年生になって少し焦って理系の勉強をかなり頑張ったが,結局単位が足らずに留年することになった.しかし,今にして思えば,哲学や経済学を勉強したことは非常に役立っている.私の場合,学問をやっていく上で理系・文系の区別など無い,教えるときに便宜的に分けているだけなのだ,という感が強い.あるレベル以上のことをやろうと思えば結局は両方の素養や知識が必要になってくると思っている.また,現代社会の中に生きている以上は,色々な局面で現代社会をどれだけ深くとらえているかが意味を持ってくる.もし私が浪人をしていなければ,おそらくこれほどは経済学や哲学には興味を持たなかったであろう.浪人の1年は無駄になるどころか非常に意味のある1年となった.

 この『転んでもただでは起きぬ』ことが人類自身の発展の原動力ではないだろうか.人類は失敗から学び様々なことを可能にしてきた.例えば,我々は今日おいしく河豚(フグ)をいただく.しかし,人類で最初に河豚を食べた人間は確実に死んだであろう.ところが,(ここが人間の貪欲なところでもあるが)人類はそこで河豚を食べることを止めなかった.そうして,また河豚を食べて人が死に,ということを繰り返していくうちに,この部分には毒がないとか,こうすればここの毒はぬける等ということを発見していったのではないか.この様に人類は過去の人々の経験を蓄積し,理論化・体系化して役立てていき,新たな経験を生み出し,それを未来の人々に伝えていくことでまさに類として爆発的な発展を遂げた.今回の阪神淡路大震災にしても多くの方が亡くなったのは本当に不幸なことである.しかし,それだけで終わってしまっては全く意味がない.例えば,建造物等の耐震設計,災害に強い町造り,危機管理等に大震災の教訓を生かしていかなければ多くの人の死は無駄になってしまう.また,そうしていくことが人間の強さである.

 個々人の体験が時間・空間の壁を打ち破り,理論化・体系化されていくことがまさに人間の特徴,人間の人間たる所以である.例えば,ある動物の一個体が毒茸か何かを食べて死んで,それを見ていた他の個体がその茸に気をつけるということはあるだろう.しかし,日本の犬が「このあいだアメリカの犬がこの茸を食べて死んだらしいで.うちらも気を付けよう.」等ということにはならない.ここに勉強すること,もっと大きな意味で言えば学習することの意味があるのではないだろうか.我々は学習して先人の到達した地点にまで行かなければ話にならないし,我々の経験を次の世代の人々に伝えていかなければならない.一個人が今までの人類の営みを全て体験し理論化・体系化できるなら「勉強したくないからしない」ということも可能ではあろう.しかし,先人の経験の蓄積だけでもばく大な量である.とうてい一個人が先人の経験したことを全て経験するだけの知力・体力も,時間も持ち合わせてはいない.ましてや理論化・体系化まで行わなければならないのである.「勉強したくないからしない」ということは,河豚で言えば,毒があることすら知らずに河豚を食べて死んでそれで終わりということである.てっちりなどは遥か彼方である.せっかく先人が残してくれた貴重な遺産を無駄にして同じ過ちを犯すだけである.勉強する・学習するということは人間の特徴,人間の人間たる所以である.だから,勉強をして物事を理解し,さらに新しい物を発見していくということは人間の最も人間らしい行為であり,人間の最高の歓びでもある.

 この話を学生にするときは最後をたいがい以下のように結ぶことにしている.「できないんじゃないかと思うな.ひょっとしたらできるんじゃないかと思うことが大切だ.自分が10の実力をもってたとして,もし5しかできないんじゃないかと思えば絶対に5しかできない.しかし,ひょっとしたら20ぐらいできるんじゃないかと思えば絶対に10の実力は出し切れる.」「現実問題として成績が悪いと進級できないし,就職でも成績はきくから,君らに“勉強しないと進級(卒業)できないぞ.就職に不利だぞ”と言うが,本当はそんなことは言いたくない.そんな低レベルなところで勉強して欲しくない.どうせ勉強するなら本気で勉強しよう.面白いから勉強するんだし面白く勉強しよう.面白くなかったら止めようや.勉強すると言うことは人間の人間たる所以である.勉強しないということは猿で良いと言うことだ.猿になるか人間になるかの選択は君らにまかせた.勉強したくないから勉強しないということは河豚を食って死んでそれで一巻の終わりだということだぞ.」


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